私と羽生結弦くんの間にはかつて、身長が169センチで体重が53キロという共通点がありました。ついでに言うと彼は銀盤の王子様、私は天地を治める「王の中の王」の子。彼は世界中の女性に愛され、私も世界を創られた神に愛されています。
43年前に神戸で人生デビューしました。初めて教会の門をくぐったのは、京都に住んでいた22歳の時。それから半年ほどで受洗しました。私、左目が見えないのですが、ヨハネ9:3でイエス様が盲人を前に「この人の目が見えないのは神のわざが現れるためである」と言い切った場面に、心を動かされたのです。
新聞記者の仕事を授かった後は宮崎→日南(宮崎)→島原(長崎)→北九州(福岡)→鹿児島と転勤を重ね、2014年に松山に来ました。
早いもので、洗礼を受けてから20年が経ちました。来し方を振り返ると、教会に通わない時期があり、信仰生活をやり直す決心をした日があり、結婚をし、3人の子を授かり、無我夢中で子育てをした日々がありました。ぎっくり腰になり、転勤に伴う諸種の困難にめげそうになる日があり、教会に行くのが辛い日がありました。
それでも信仰生活を続けられたのは、主の恩寵以外の何ものでもありません。
「その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない」(詩篇1:2-3)
一つだけ、私が心がけたことを挙げるなら、これに尽きます。聖書の言葉によって養われ、成長する。生ける水の川のそばに立ち続け、御霊によって生かされる。変わることのない大原則です。
松山での3年は、毎年新人が配属され、仕事の量も増え、時々健康を害し--と、楽ではありません。それでも、この地上での生涯を終えた時、主に「よくやった。良い忠実なしもべだ」と冠を授けてもらえる人生を、歩み続けたいと思います。
古いデータを探していたら、2016年5月29日に、当時お世話になっていた松山福音センターの週報に寄稿した証詞が出てきました。本稿執筆時点から3年前に書いたものです。基本的に「楽ではない状況」は変わらないか、さらに楽ではなくなりましたが、主の恩寵によって何とか信仰生活を保っている状況も相変わらずですし、地上ではなく天上における報いのみを待ち望んでいる姿勢にも変わりありません。アーカイブという意味で掲載してみました。