ぼくのヴィア・ドロローサ

 2016年12月18日から、ほぼ欠かさず、日記をつけています。
 
 きっかけは、メンタルヘルスの悪化でした。とりあえず日記に書き出すことですっきりしようとした、または自分自身を客観視して考え方を変えようとしたのです。
 
 ちなみに18日の書き出しはこうです。「布団から出たくない。脳内に『仕事嫌』汁が多量に出ている」。締めくくりは「神様。どうぞ私を作り替えてください。感謝が足りません。フォーカスすべき点が間違っています」です。すでに黄信号ですね。
 
 年が改まったら少しは良くなるかもと期待しました。「真のクリスチャンなら、外的環境に左右されないで心の平安を保てるはずだ」と言い聞かせました。「スミルナの教会は迫害に負けずイエスからお褒めの言葉を頂いた。今こそスミルナの信徒を見習うときだ」とも。
 
 しかし、私のメンタルは下降線を辿る一方。2017年3月14日に近くの診療内科を訪ねたところ「重度のうつ病ですよ」って。ありゃりゃ。その後、会社指定の心療内科医を改めて訪ねたところ「うつ病ではなく、適応障害によるうつ症状。うつ病と適応障害の違いは、半年以内に回復が見られるかどうかです」との診断が下りました。
 
 
 
 ユダヤ教徒は、安息日をとても大事にします。金曜の夕方から土曜の夕方まで、労働は一切しません。イスラエルのホテルでは、エレベーターが各階に止まるそうです。ホテルの人にフロアの番号ボタンを押させたら、彼/彼女に労働させることになるからです。徹底してますね。
 
 安息日は英語で「Sabbath」(サバス)と言います。
 
 大学教員の世界には「サバティカル(休暇)」という制度があります。勤続10年、20年経った教員に、半年や1年の休みを与えることです。その間、研究から離れてリフレッシュしてもよし、以前から取り組みたかった別のテーマに取り組んでもよし。そうすることで次の10年、20年を頑張ってね、という訳です。
 
 もうお分かりかと思いますが、サバティカルの語源は、サバスです。長い安息日という事ですね。
 
 
 
 私は2017年4月17日から、サラリーマン人生で初めて、会社を休職しました。入社後21年が経過していました。「会社人生で言えば折り返し地点を過ぎたあたり。この機会をサバティカルと位置づけて、次の10年、20年に生かせる何かを身につけよう」と決めました。
 
 とは言え心身の回復が最優先です。規則正しい生活を心がけ、歯石を取ったり、自転車のメンテナンスをしたり、洗車したり、バイブルスタディに参加したり、お年寄りに交じって早朝のラジオ体操に出席したり、子供の部活の送迎をしたりと、軽い作業から日常生活を組み立て直しました。
 
 3カ月もすると少し安定してきたので、長崎での友人の結婚式に参加したり、東京の友人・知人・縁者を訪ねて、いろんな方から「今後10年」に備えた意見を聞きました。二度とこんな経験はしたくないので、心理学を中心に、さまざまな勉強をしました。産業カウンセラーの資格を持つ複数の知人に意見を聞いたり、人材育成会社の経営者さんに特別レッスンをしてもらったり、キャリアコンサルタントを訪ねて現状分析してもらったりもしました。
 
 診療内科医の言葉通り、半年間でうつ症状はおおむね解消されました。ちなみに、医師の下には定期的に通いましたが、薬は一度も出ませんでした。
 
 
 
 適応障害の根本的な解決は、私の場合、その要因を取り除くこと、つまり異動しかありませんでした。
 
 異動についての私の原理原則はシンプルです。今より高い地位は自ら求めない。地位が下がってもいい。その代わり教会に通う時間と家族との時間は死守する。信仰と家族は私の「5%」、仕事は「10%」の領域に属するものだからです。
 
 休職中も、私はそのように祈ってきました。同時に、一つ付け加えることを忘れませんでした。「……以上が私の願いですが、しかし主よ、あなたの御心通りになさってください」
 
 十字架にかかる前夜、イエスは、ゲツセマネという場所で3度祈りました。聖書にはこうあります。
 
 「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」
 
 杯というのは比喩で、十字架で死ぬことです。そこまでにどれほどの苦痛が待っているかを考えると、誰だって避けたく(イエスの言葉では「過ぎ去らせる」)なります。
 
 でもイエスは、自分の意思や願いではなく、わが父=神の御心=十字架の死が果たされることを優先しました。私はここに、最高の祈りの形があると思うのです。自分の願いは願いとして述べたうえで、でも神のご計画を優先し、到底受け入れ難いものであってもそれを受け入れる。
 
 2017年10月、私は現在の職場に異動する形で復職しました。人生初の単身赴任。妻子たちからは遠く離れました(一番上の娘がついてきましたけど)。これほどまでに、私の原理原則が損なわれたことはありません。お城の攻防戦で言えば三の丸、二の丸を突破されて本丸まで攻められたようなものです。それでも、本丸を守り抜く--妻子に対して夫・父としての責任を果たすため、毎月2回、片道5~6時間かけて帰っています。肉体的にも金銭的にも、とても大変です。
 
 転勤から1年あまりが経過しましたが、現在も、神がどのようなご計画によって私を今の地に置いたのかは分かりません。死ぬまで分からないかもしれません。「この1年、楽しかったか?」と聞かれたら、私は首を傾げるでしょう。「苦しかったか?」と聞かれたら、「それはもう」と答えるでしょう。
 
 けれども、イエスが完全に父の御心に従ったように、私もまた、イエスの苦しみの足跡を慕い、ヴィア・ドロローサを歩かねばならないのです。でもきっと、神の御前に立つ日が来たら、言ってもらえると思うのです。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」。その日を迎えるのが、私の希望です。