私ども家族はプロテスタントのクリスチャンですが、長崎県島原市に住んでいたころ、子供たちはカトリック系の幼稚園に通っていました。深い理由はなく、自宅から一番近く、子供の足でも歩いていける距離にあったのが、その幼稚園だったのです。残念なことに少子化の流れでその後閉園のやむなきに至りましたが、私たち夫婦も、子供たちも、その「聖和幼稚園」が大好きでした。
キリスト教系の幼稚園はおそらく大半がそうだと思いますが、クリスマスの時期になると、イエスの誕生をドラマ化した「降誕劇」を子供たちが演じます。子供たちの一番人気はイエスの父ヨセフと、母マリヤ役。次に人気があったのは、男の子だと東方の三博士、女の子だと天使役でした。
長女が演じたのは、宿屋のおかみでした(笑)。私はこれを、大変良い役だと思いました。劇には2軒の宿屋が登場します。1軒目は「ウチの宿はいっぱいだから、あなたがた(ヨセフと、出産間近のマリヤ)を泊める部屋はない」と、2人の宿泊を断ります。2軒目の宿(=長女の宿)は「部屋は空いていませんが、馬小屋なら空いています。こんな汚い場所でもよければどうぞ」と2人を受け入れます=写真。左からマリヤ、ヨセフ、長女扮する宿屋のおかみ。
これは大変、意味深だと、私は劇を見ながら思いました。イエスの誕生から現在に至るまで、世の多くの人は、イエスが心のドアをノックしているのに、門前払いしています。つまり1軒目の宿です。でも中には2軒目のように「こんな汚い私の心でよければお入りください」とドアを開ける人がいます。出番は少なかったですが、長女がそのような役を演じられたことを、私は大変嬉しく思いました。
聖書にも似たようなエピソードがあります。イエスはユダヤ人なんですが(イスラエルでは「イェシュア」と発音するのが正しいようです)、ユダヤ人の指導層はイエスを拒否し、異邦人(=非ユダヤ人)である東方の博士たちはイエスを礼拝します。
メシアであるイエスを拒否する宿と受け入れる宿。イエスを拒否した指導層と礼拝した東方の博士たち。あなたはどちらを選びますか?