高2に語るマタイの福音書29

それを言っちゃあ、おしめえよ

(12章)

中心聖句

 これを聞いたパリサイ人たちは言った。「この人が悪霊どもを追い出しているのは、ただ悪霊どものかしらベルゼブルによることだ」(24節)

解説

 12章は①安息日に麦を積んだ弟子への批判(1~8節)②安息日に手の萎えた人を癒やしたことへの糾弾(9~21節)③回帰不能点を越えたユダヤ人支配者階級(22~37節)④ヨナのしるしの予告(38~42節)⑤汚れた霊の例え(43~45節)⑥血の家族より霊の家族(46~50節)に区分できます。
 
 中でも重要なのが③です。イエスによる様々な奇跡、特に口のきけない人からの悪霊追い出しを目撃したユダヤ人の間で「イエスこそまことのメシアでは」との思いが広がりました(23節)。支配者階級も、奇跡そのものは否定できず、苦肉の策で「イエスは悪霊の王の力によって超自然的なわざを見せている」とでっちあげ、火消しにかかります。
 
 個人の罪以外に、その時代・その国の人にしか為し得ない「民族的な罪」があります。メシアを、よりによって悪霊の王とした支配者階級(とそれを受け入れた民)の罪、目の前に神の国を提示されながら(28節)その王を拒否した罪は、そのようなものでした。31、32節の「聖霊(御霊)に対する赦されない罪」も同じ意味です。
 
 12章には「時代」(世代という意味です)という語が4回出てきますが、「罪に定められる」「現状より悪くなる」とあるように、民族的な罪には過酷な裁きが下ります。イエスの十字架から約40年後、ユダヤ人はローマによって国を滅ぼされ、世界中に離散させられます。その後の苦難の歴史はこちらで少し触れた通りです。

適用

 私たち個人の罪で、赦されない罪はありません。しかし、当時のユダヤ人同様、イエスを拒否する者には裁きが下ります。
 
 「木を良いとし、その実も良いとするか、木を悪いとし、その実も悪いとするか、どちらかです。木の良し悪しはその実によって分かります」(33節)。
 
 あなたはイエスという木と実を、あなたにとって良いとしますか、悪いとしますか? 当時のユダヤ人を反面教師とする人が、一人でも多く現れることを、心から願います。