再臨はいつだ!?

 再臨とは、イエスがもう一度、この地上にやってくることです(こちらもどうぞ)。クリスチャンでない方からは「あなた、正気ですか? そんなことがあると本当に信じてるんですか?」と言われそうですし、日本のキリスト教界は積極的には再臨について語らないのでクリスチャンにすらドン引きされたこともありますが、それでも私は再臨が必ずあると信じています。
 
 だって、聖書にちゃんと書いてあるんですよ。
 
 そして(イエスの昇天後、天使が弟子たちに)こう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります」(「使徒の働き」1章11節)
 
 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身(※イエス・キリスト)が天から下って来られます(「テサロニケ人への手紙第一」4章16節。このサイトのトップページの英文です)
 
 再臨がいつか分かればいいですよね。放蕩し放題の人生を送って、再臨直前に「十字架を感謝して受け取ります!」と悔い改めればいいんですから(笑)。
 
 でも、子なる神ご自身がこのように言っています。
 
 「ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子(※イエスのこと)も知りません。ただ父(なる神)だけが知っておられます」(「マタイの福音書」24章36節)
 
 イエスがご存知ないことを、一信徒である私が知り得ようはずがありません。ただ(当たっているかどうかはともかく)ヒントらしきものはあります。
 
 父なる神は6日間で天地創造を終え、7日目をお休みとされました。
 
 一方、ヨハネの黙示録20章4、6節には、再臨のイエスが1000年間、地上を統治するとあります。
 
 詩編90編4節、ペテロの手紙第二3章8節には、「神の目には1日が1000年のようである」とあります。
 
 ルネ・パーシュ「イエス・キリストの再臨」という古い神学書は、聖書に登場するさまざまな「6働いて1休む」を踏まえ、こう記します。
 
 <これらの類比を基礎にして、ラビたちは、この世は次のような循環を知るようになるであろうと考えた。
 六千年間の活動--六日間
 千年間の休息--第七日
 
 後に、古代の教会教父たちは、この同じ思想を、新しい形式によって表現した。彼らは、だいたいにおいて地は次のようになるということを予見した。
 律法のなかった二千年間--アダムからアブラハムまで
 律法の下にあった二千年間--アブラハムからイエス・キリストまで
 恵みの下にある二千年間--現在の時
 偉大な王の統治の下にある千年間--千年期>
 
 「私たちは、イエス・キリストの再臨の日時を断定することがないように、警戒したいと思う」と続くのですが、まあ、断定でなく、想定するならいいじゃないかということで(笑)話を進めます。
 
 先日、図書館でフレデリック・アンセル著「地図で見るイスラエルハンドブック」を借りたのですが、巻末にイスラエル共和国の独立宣言が載っていました。「われわれは(中略)ユダヤ暦5708イヤール(※2番目の月の名前で西暦では4~5月)、1948年5月14日、ここに独立を宣言するものである」と締めくくられていました。
 
 私たち使っている西暦は、キリスト教暦です。世界には、それ以外にもたくさんの暦があります/ありました(日本も戦時中「皇紀●年」と言ってましたね)。ユダヤ暦は天地創造を紀元としています。
 
 ここからはいつもの暴走です。本稿執筆時の2022年はユダヤ暦で何年でしょう? シンプルに言えば「西暦+3760年」で5782年ですが、こちらで計算すると5783年になります(太陽暦と太陰太陽暦の違いが理由でしょうか)。まあ、1年ぐらい目くじら立てずに(笑)。
 
 仮に、ラビや古代教父たちの考えが正しく、人類に与えらえた歴史が6000年で、あとの1000年が再臨のメシアによって統治されるとします(そもそも、どうやって天地創造がB.C.3760と特定できたのか良く分からないので妄想の域を出ませんが)。6000-5783=217です。ここまでの仮説が正しいとすれば、再臨は今から217年先(218年かも)なのかもしれません。
 
 私が生きていないことだけは確実ですが、その頃、世界はどうなっているのでしょうか。気候変動が今より進み? 先進国による収奪はさらに進み? AIによる人類支配がさらに進み? いずれにせよ、ディストピアしか描くことができません。そうやって人々の罪がピークに達したとき、神の忍耐の時は終わりキリストの再臨とそれに続く最後の裁きの時に移行するのかもしれません。
 
 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(「ペテロの手紙第二」3章9節)
 
 残りの死者(※キリストを信じなかった人のこと)は、千年が終わるまでは生き返らなかった。いのちの書に記されていない者(※同)はみな、火の池に投げ込まれた。(「ヨハネの黙示録」20章5、15節)