30歳前後だったと思いますが「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」という病気で入院しました。右足にばい菌が入って、靴も履けないほど足が腫れたのです。
病室は大部屋でした。何の病気だったか聞きそびれましたが、同じ部屋に「何年も入院している」という、恐らくは私とあまり年齢の変わらない男性がいました。その方とはあいさつ程度だったのですが、私は深く考えさせられました。
「どれだけ時間があっても、健康でなければ、その時間を生かせる幅がとても狭いものになってしまう」
私やあなたの真の財産とは、いくら貯金があるか、不動産をどのぐらい持っているかではなく、私やあなたの「時間と健康」です。どれだけ貯金や不動産があっても時間がなければ使えないし、健康でなければ楽しめることは限られますよね?
生きている限り病気もけがも避けられませんが、ゆえに私たちは、可能な限り、時間と健康の「良き管理人」でなければならないと、私は考えています。そして、私やあなたは、神様から与えられた時間と健康を、何にどれだけ配分するかを常に試されている、とも思っています。
「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が社会で認知される前から、私はその忠実な実践者でした。ワーク・ライフ・バランスの講演会やセミナーに、講師やパネリストとして招いてもらった際、繰り返したことがあります。
「大事なのは『バランス』ではない。『プライオリティ』(優先順位)だ」
時間と健康を何にどれだけ配分するかを考える時、バランスよく配分するのが大事なのではありません。時間という限られたリソースを、プライオリティに従って、それぞれから不満の出ないように配分することが大事なのです。
プライオリティは何によって決定づけられるか。それは「私やあなたの中の原理原則」です。私の場合は「『5%』に集中し、そこでは『A+』の成績を取る」が人生最大の原理原則です。
「神が与えたメンターたち」でご紹介した通り、私は、ハワイにある「ニューホープ・クリスチャン・フェローシップ・オアフ」という教会の、ウェイン・コデイロ牧師を大変尊敬しています。「5%に集中する」も、コデイロ師から学んだことです。
コデイロ師は言います。「あなたがやっていることの85%は、他の誰でもできる」。85%には、食事をしたり、歩いたり、ネットサーフィンをしたりといった、本当に誰でもできるようなことが含まれます。
コデイロ師は続けます。「10%は、訓練すれば誰でもできる」。10%の代表例は、仕事でしょう。どんな仕事でも始めは何もできませんが、訓練と経験を重ねるに従って一人前になります。どのような仕事にも前任者と後任がいる以上、「誰かでないとできない」仕事は存在しないと言っていいでしょう。ボランティア活動や、子どものスポーツ少年団の活動補助なども10%に含まれるかもしれません。
コデイロ師は強調します。「でも、5%だけは、あなたしかできない。あなたはその分野では『A+』(日本で言えば『秀』)の成績を取らなければならない」と。
5%に含まれることは多くありません。自分自身の管理人として、自分の健康を保ったり、人格や信仰を成長させること。誰かの夫(妻)・父(母)・子であること。神さまとの交わりを保ち、神の計画をこの地上で実現していくこと、ぐらいでしょうか。分かりやすく言えば、お金を払って外注すること、誰かに代行してもらうことが不可能な分野です。
懐中電灯の光で失明することは、よほど目に近づけない限りあり得ませんが、レーザーポインターなら少し距離があっても失明する危険性があります。懐中電灯の光が拡散されているのに対し、レーザーポインターは1点に集中しているからです。
コデイロ師は言います。「95%が意味あるものになるかどうかも、この5%にかかっている」。私は、自分の時間と健康は、レーザーポインターのように、5%の領域にだけに集中させたいと、日々思っています。私がずっと「ローカル線の旅」を続けてきたのは、10%である仕事に、5%の領域を侵食されたくなかったからです。都会ほど、特に本社に近づくほど、会社は時間と健康を惜しみなく捧げることを要求してきますから。
現在、私は関西に住んで単身赴任生活を送っていますが、これなど明らかな侵食例です。私が希望したものでは全くありませんが、サラリーマンなので仕方ないですね。誰でしたっけ「サラリーマンは、気楽な稼業と来たもんだ」なんて歌ってたのは(涙)。