復職してから一定期間、カウンセリングを定期的に受けていました。メンタルヘルスを崩さないための「転ばぬ先の杖」という訳で。カウンセリングを受けて良かった! という感じはなかったのですが、一つだけ記憶に残っていることがあります。
「山崎さんは自分を語るとき、大学3年生の就職活動が起点になっていて、2歳の時の事故を除けば、それ以前の自分が『なかったこと』になっている」
確かに。ここでも、2歳からいきなり大学3年生までジャンプしています。私にとって就職活動≒キリストとの出会いで、私の人生≒キリストとの人生だったので、自然とそうなったのだと思います。
今回は恥多き「B.C.自分」を披瀝したいと思います。読めばお分かり頂けますが、実に情けなく頼りないヤツが、少なくとも一応は真人間になれて人並み(以上?)の暮らしを送れているのは、間違いなく神の恩寵だと思うからです。
幼稚園の時は、親から離れるのが不安で不安で、登園中わんわん泣いていました。父親が幼稚園まで毎日付き添ってくれていましたが、さぞ困ったことでしょう。
私が生まれ育った神戸では、小学校の人気者は①頭が良い②運動ができる③面白い--のいずれかでしたが、私はどれでもありませんでした。伯母に「鶏」と揶揄されるほどガリガリで、外で遊ぶのが嫌い。友人の家でも漫画ばかり読みふける内向的な小学生でした。よくいじめにも遭いました。
私が通っていた中学校は、生徒の気品にかなりの幅があり、1、3年生の時は「そっち系」のご子息にむちゃくちゃブン殴られたり(理由は忘れた)、体育の時間に突き飛ばされ気絶したこともあります。楽しい記憶は2年生の時だけですね。
中学卒業に合わせ引っ越ししたので、高校には「同じ中学出身者」がおらず、完全アウェー状態でした。休み時間はほぼ読書(ひどいときは授業中も)。3年間「図書館貸し出しキング」でした。この高校は大学進学者が極めて少なく、またわが家はビンボーだったので塾に通うお金はありませんでしたが、旺文社の「大学受験ラジオ講座」を聞いて受験に必要な3教科だけ必死に勉強して、何とか大学に潜り込みました。ブラームス「大学行進曲」を聞くと、当時の記憶が蘇ります。
大学は7校受けて6校落ち、合格した1校も合格最低点でしたから、神の恩寵というほかありません。大学には当初、家計を慮って自宅から通っていましたが、片道3時間半の通学に音を上げて、1回生の12月から下宿しました。中途半端な時期に物件を探したので学校からかなり離れた物件しかありませんでしたが、下宿の近くでアルバイト先を見つけ、そこで後に妻になる女性に導かれて教会の門をくぐっているので、これまた恩寵というほかありません。
これが恥多き「B.C.自分」です。「A.D.自分」の人生も、恥の多さはあまり変わりませんが、神との関係に基づく正しいセルフイメージが築かれたこと、多くのクリスチャンの諸先輩から学べたこと、大変に仲の良い家族を築けたことは、本当に感謝なことだと思っています。