デヴィッド・ギルモア著「父と息子のフィルム・クラブ」という本があります。「学校に行きたくない」と言い出した息子に、映画評論家の父は「週3回一緒に映画を見ること」を提案します。
本書に触発された私は機会あるごとに、家族で映画を見るようにしています。
でも、どの映画を選択するかが難しい。私と次男では32歳の年齢差があります。ポストモダン化が進んだ昨今、映画もターゲットが細分化されていますから、「みんなが楽しめる映画」はなかなかありません(その点ディズニーやピクサーは最大公約数的な作りが上手)。
「これは受けるだろう」と思って見せた「ラ・ラ・ランド」なんて、完全に不発。私がこの半世紀で最高のエンターテインメント映画だと思っている「バック・トゥ・ザ・フューチャー」も、それほどの反響はありませんでした。目論見通りだったのは「E.T.」「最強のふたり」ぐらい。
先日は「ライフ・イズ・ビューティフル」をチョイスしました。私の大好きな作品で、これでだめならもう見せる映画がないというぐらいの気持ちでしたが、ちょうど終戦記念日前だったので、戦争や差別について考えてほしかったのです。
前半は喜劇の要素が強いので楽しめたようですが、ユダヤ人弾圧が進む、重いトーンの後半になると次男は離脱。長女と長男は最後まで観賞してくれました。
長女は観賞後も「もやもや」感が残ったらしく、私の本棚から手塚治虫「アドルフに告ぐ」を取り出し、日付が変わるまで全4巻を読んだそうです。「ライフ・イズ・ビューティフル」と同じく、「アドルフに告ぐ」もナチスによるユダヤ人迫害が主要なテーマになっていますから、映画の効果は、長女には最大限表れたようです。
聖書の時代から、ユダヤ人は迫害を受けてきました。エジプトでは奴隷にされ、ヘロデ王には幼児が虐殺されました。西暦70年に彼らが国を失い、世界に離散した後の迫害史については、皆さんご存知の通りです。
でも、聖書は言います。
「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される」(創世記12章2~3節)
「わたし」は神、「あなた」はアブラハムのことです。
「あなたを大いなる国民とし」とは、アブラハムから一大民族--ユダヤ人またはイスラエル民族と言ってもいいのですが--が誕生し、その中からメシア=イエスが誕生するという意味です。
ユダヤ人は諸民族の祝福の源として神に召されました。だから、ユダヤ人を祝福する者は祝福され、ユダヤ人を呪う者は呪われるのです。これは聖書に定められた大原則です。
私も、ユダヤ人についての知識は長らく「標準的日本人」水準でしたが、ユダヤ的文脈で聖書を読むことの重要性に目が開かれてからは、イスラエル聖書大学に(細々と)献金するという形でユダヤ人を祝福しています。
祝福は個人レベルでも返ってくるのでしょうか? 小市民な私はつい「宝くじを買ったら1等が当たらないかな……」などと考えてしまいます。
え? 祝福は既に十分過ぎるぐらいに与えられているだろう、って? そうですよね(笑)。
追記:「運動靴と赤い金魚」も見ました。不発でした……。