ドラッグと信仰

 青春映画の傑作「パッチギ!」は、バンド(当時の言葉ではグループ・サウンズ)に黄色い声を上げる女の子たちの描写から始まります。女性の中には興奮のあまり失神する人もいます。
 
 私は直接お目にかかったことがないのですが、プロテスタント・ペンテコステ派の中でも「バリバリ」の集会(特に海外)では、人々が恍惚の境地に至ったり、バタバタ倒れたりする場面が見られるようです。私も一度は経験してみたいものです。
 
 マルクスは「宗教は、悩める者のため息であり、心なき世界の心情であると共に精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」と言いました。余談ですが、「宗教は、人間一般の強迫神経症である」と言ってのけたフロイトと合わせて、この2人ほど、20世紀以降、世界に多大な影響を与えた人物はいないと思います(「世界で最も多く人を殺した2人」ならスターリンとヒトラー)。
 
 法悦、悦楽、エクスタシー、忘我……どんな表現でも構わないのですが、宗教とドラッグには、確かにそのような共通点があると思います。
 
 何が言いたいのかと言いますと、近年のキリスト教界の信徒数減少と、大麻などドラッグ使用者の拡大の間に、相反関係があるのではないか、という気がしてならないのです。私がお世話になっている教会は子どもや学生が多い方ですが、それでも10代後半~40代が少ない。
 
 人が苦難に遭った時、神にすがるのではなく、ドラッグに手を染めるという安易な方法でその場その場を凌いでいるのだとしたら、ちょっと見過ごせません。こちらでも書いた通り、苦難や苦痛は、神が、人を、ご自身の方へ向き直させる、最もポピュラーな道具であり、神の光で照らすことなしに、人は、苦痛の意味を本当には理解できないからです。神は意味と癒しを与えてくれますが、ドラッグは人を廃人にするだけです。
 
 海外で長年暮らし、最近帰国した方が言っていました。「私が住んでいた国では大麻が合法化されたが、日本はまだそのようなことになっていない。日本は本当に素晴らしい国だ」。日本の美風はいつまでも守りたいものですし、何より、一人でも多くの方がキリストなる神の元に来てくださることを願ってやみません。