人生のピンチ

 テレビをつけたら、NHKで「街録(ガイロク)」という番組をやっていました。テーマは「人生のピンチ」。テレビの向こうの女性が語っていたのは、東日本大震災当日、帰宅難民になった体験でした。
 
 私はこういう時「自分は何と答えるだろう」と考えます。脳内スキャンして出てきた答えは「ベニー・ヒン事件」でした。
 
 ベニー・ヒンの名は、教会の本棚にあった「聖霊さま、おはようございます!」(マルコーシュ・パブリケーション)で知っていました。「いやしと奇跡の伝道者」で、重病人や重い障害がある人が、彼の集会で奇跡的に癒やされたとか。
 
 2005年当時、私は長崎の片田舎に住んでいたのですが、名古屋でベニー・ヒンの集会「ミラクル・クルセード」が開かれるというので、行ってみました。同じ教会のオーストラリア人兄ちゃんと、日本人シングルマザーとその娘(未就学児)の計4人で、空路名古屋へ。
 
 帰路、事件は起きました。金山という駅から中部国際空港に向かう電車に乗ったのですが、車内で私とオーストラリア人兄ちゃんは、「彼はバッタもんではないか」「キリストの愛を全く語っていなかったぞ」等々、英語で喧喧囂囂侃侃諤諤。時間を忘れるぐらい熱く意見を交わしていました。
 
 しばらく経ってから、彼が「太郎、空港はまだか」と。往路もそれなりの時間がかかったと記憶していたので、「いや、まだ少しかかる」と答えました。
 
 またしばらく経ってから「まだか」。おかしい……と思って外を見ていると、電車は終点の豊橋に着きました。豊橋! 静岡との県境!! 私は声にならない悲鳴を上げました。
 
 慌てて折り返しの電車に乗ったものの、クラクラしました。構成メンバーと成り行きからして、このピンチ、自分が打開するしかない。オーストラリア人兄ちゃんもシングルマザーも翌日は仕事。でも、長崎行きの最終便には絶対間に合わない。さあ、どうする?
 
 幸い、家に妻がいたので、事情を説明しました。妻が「福岡空港から高速バスで長崎、なら間に合う」と提案してくれました。おお! 福岡行きの最終便は、2席だけ空いていました。オーストラリア人兄ちゃんとシングルマザーの名前で予約しました。
 
 私の席については、「当日キャンセルがあれば乗れる。空港に行かないと分からない」。今度こそ電車を間違えずに中部国際空港にたどり着き、3人をゲートの向こうに送り出し、私はカウンターへ。キャンセル待ちが先に2人いました。さあ、どうなる?
 
 幸い、2人に続いて私の名前も呼ばれました。その時のうれしさと言ったら! 走って3人を追いかけ、抱き合って喜びました。飛行機が離陸した瞬間、気絶したように眠りました。
 
 福岡空港に着いてから、高速バスターミナルに移動し、深夜、長崎に。後のことはよく覚えていません。
 
 今ならスマホでチケットを取ってオンライン決済でしょうが、当時はiモード。家に妻がいなかったら、どうなったことか。福岡便に空きがなかったら。キャンセルが出なかったら。バスに間に合わなかったら。私にとっては、全員が長崎に帰れたことが何よりの、神様からのミラクルでした。全員の飛行機代とバス代を出すことに文句一つ言わなかった妻、天晴です。
 
 オーストラリア人兄ちゃんとシングルマザーはその後結婚し、今は家族4人、オーストラリアで仲良く暮らしています。名古屋珍道中が、2人の距離を縮める一つの機会になったとしたら、これも大きなミラクルですね。
 
 ベニー・ヒンについては、稿を改めて……。