ぼくのてつたび

 入社以降の私の人生は「ローカル線の旅」です。今回は、神が私を遣わした土地と教会について、ご説明したいと思います。

 

振り出しは宮崎市

 

 私は社会人人生の第一歩を、何の縁もない、30万都市の宮崎で踏み出しました。2年間、いわゆる「警察(サツ)回り」をしました。抜かれることの方が圧倒的に多い、情けない警察回りでした。
 
 京都一麦教会で紹介された、宮崎キリスト教会という日本バプテスト連盟の教会に通い始めました。一麦教会と同じ、オーソドックスな「福音派」の教会でした(福音派とは何かについては、別の項で説明します)。しかし、仕事を始めたばかりで心身共に余裕がなく、次第に足が遠のきました。
 
 次にお世話になったのが、日本イエス・キリスト教団の宮崎希望教会でした。開拓伝道(会社で言えばベンチャーを起業するようなもの)が始まったばかりにもかかわらず、森牧師ご夫妻は未熟な若い魂を忍耐強く導いてくださいました。

 

宮崎県日南市

 

 次の勤務地、宮崎県日南市は人口5万人弱。ここでは、日本メノナイトキリスト教会会議の油津キリスト教会にお世話になりました。日高牧師夫妻はクリスチャンの鑑のような方々でした。内田和彦、羽鳥明ら錚々たる牧師陣の講演メッセージのカセットテープが山のようにあり、車の中で片端から聞いたものです。ここで教会生活を送れたことは、本当に大きな恵みでした。

 

長崎県島原市

 

 島原市も人口は5万人規模でした。最初にお世話になったのは、保守バプテスト同盟・ファミリーキリスト教会。小規模ながら老若男女そろっていました。ここで出会った同世代のクリスチャンとは、今も親交があります。感謝ですね。
 
 諸事情で教会を出ざるを得なくなった後は、車で1時間半ほどの大村市にある単立教会(音楽業界で言うところのインディーズ)・新生の里キリスト教会に通いました。今までの所属教会はすべて福音派だったのですが、ここは「カリスマ派」と呼ばれる教会で、私の信仰領域は大きく拡げられることになります。
 
 島原には結局8年もおり、私はここで、地震・火山の専門的な知識を身につけました。ハイライトは7年目の2007年に開かれた「第5回火山都市国際会議」で、分科会の一つを任されたことでした。日々の仕事の傍ら、全体の構想、予算集め、チラシやポスター制作、シナリオ書き、キャスティング、当日の運営を、ほぼすべて一人でやらせてもらいました。

 

北九州市

 

 次の職場は北九州市でした。入社後住んだ中では最も人口が多く、100万人弱。2年半、記事の価値判断をしたり、見出しをつけたり、レイアウトをする紙面編集の仕事をしました。知性とセンスが問われるので、とても勉強になりました。
 
 ここでは日本同盟基督教団の北九州聖書教会に所属しました。竹元牧師の礼拝メッセージは本当に素晴らしく、また教会の韓国人クリスチャンが、信仰者としても人格者としても本当に立派で、よい影響を受けました。

 

鹿児島市

 

 鹿児島市は人口約60万人。当時、桜島はほぼ毎日噴火していました。当たり前のように、火山灰が降ってきました。
 
 ここでは単立の鹿児島聖書バプテスト教会にお世話になりました。とても信徒を大切にする教会でした。あと、子供への伝道に大変力を入れており、クリスマスなどは大変な数の子供が集まっていました。

 

松山市と愛媛県八幡浜市

 

 松山市は人口約50万人。同じ愛媛県の八幡浜市は、人口約4万人。ここでは、松山福音センターにお世話になりました。「ペンテコステ系」の教会です。愛媛大学大学院に通うアフリカ諸国やインドネシアからのクリスチャン留学生たちが一番の「信仰の友」になってくれました。
 
 その後、関西勤務になり、ローカル線の旅はひとまず終わりました。不本意ではありますが、単身赴任しています。本稿執筆時点では、所属教会は決まっていません。「教会難民」です(笑)。
 
 地方暮らしには、都会に派ない、いくつもの良さがあります。例えば……
 

●通勤時間による損失が少ない
●水も空気もきれいで子育てに向いている(北九州は例外)
●新鮮な野菜や魚が安く手に入る
●「100%かけ流し」の、本当の温泉がある(島原、鹿児島、松山)

 --などです。一言でまとめると「お金や便利さに換えられない魅力」が豊かだということです。
 
 神さまが、そういう豊かな環境の中で私の信仰や人格を練り、多くのよい出会いを与えてくださり、成長させてくれたことに、私は本当に感謝しています。