「あ、この人知ってる! えっと……えっと……」
加齢と共に記憶の引き出しが衰えている妻が朝、NHKニュースを見て言いました。
その時流れていたのは、「リカバリーストーリー」についてでした。心の病からの立ち直りの体験談が、同じ立場にある人の回復に役立つという内容でした。
こちらで記した通り、私もメンタルヘルスの悪化で半年間休職したので、この番組を関心を持って見ていたのでした。
「おや?」と思ったのは、この人知ってる発言の少し前、冒頭に取り上げられていた女性ではなく、部屋に飾られていたキリストの絵(カレンダーか?)でした。小さな十字架もありました。「この女性はクリスチャンか?」と思ったのです。
妻の記憶が戻りました。「サムエルさんや!」。妻が言っていたのは女性の後に映った男性のことで、クリスチャン・ミュージシャンだそうです。
厚生労働省の「主治医と産業医の連携に関する有効な手法の提案に関する研究」385ページによれば、復職後の累積再休務率は、復職から1年で28.3%、2年で37.7%、5年で47.1%だそうです。
この研究論文を引用した新聞記事を読んだ私は「絶対に『47%』の中に入らず5年を超える」と決意しました。
2022年9月末で目標の「復職5年」を超えました。この間「限りなく赤に近い黄信号」になったこともありましたが、自分の記録と、誰かに役立つならという願いを込めて、私のリカバリーストーリーを記したいと思います。
私の5年間は、前半の3年半と後半の1年半に分かれます。まずは前半から。
2017年10月2日が復職初日でした。この日は職場全体会での挨拶と、夜の歓迎会だけだったのですが、緊張でいっぱいでした。人生初の単身赴任&関西勤務ということもあり、最初の半年ぐらいは戸惑いだらけでした。
とにかく心がけたのは、睡眠薬を使ってでも十分な睡眠時間を確保し、就寝・起床時間を一定の範囲内に収めることでした。運動は心身に良いので、当初は休日の度に狂ったように歩き回っていました(自然環境は良かったのです)。踏み台昇降運動やホットヨガなど、運動はずっと続けました。温泉もあちこち行きました。座禅を習ってからは、時々座禅を組むようにもしました。
単身赴任前、休日は専ら家族との時間に充てていたのですが、相手がいなくなった分は料理に没頭したり、ハーベスト聖書塾の学びに当てました。料理は毎回、何時間にも及びましたし、レポートも大変高い水準を自らに課しました。そうすることで、寂しさから逃げようとしたのだと思います。一人だけ、以前から年賀状のやり取りのあった同世代のクリスチャン男性と、時々お話の場を持てるようになったのは幸いでした。
心療内科医との定期面談はむろんのこと、別のカウンセラーにも定期的にかかったり、「傾聴サークル」に参加してみるなど、「転ばぬ先の杖」は何本も用意しました。最も大きな「杖」はむろん教会のはずで、新しい所属教会を探して回ったのですが、どこも一長一短に思え決め切れませんでした。新型コロナ禍が広がって礼拝に出られなくなってからは、かつてお世話になった北九州聖書教会のオンライン礼拝に加えてもらう形で何とか息をつなぎました。
2~3週間に1回の松山帰省は喜びであり苦痛でした。電車とバスで片道5時間半って、途中いくら本を読んだり映画を観ていると言っても、やっぱり大変です。家族との幸せな時間があっという間に過ぎ、バスに乗る時のあの寂しさ……。時々は妻や子供たちが関西に来てくれました。一度は妻と東京で合流して親族や教会訪問。いい思い出です。
仕事そのものの遂行は問題なかったのですが、職場の人間関係や嫌なことのフラッシュバック、帰省疲れでメンタルが悪化し、ATMで現金を引き出した後キャッシュカードを取り忘れるなど(それも複数回)黄信号が灯ったことは何度もありました。耳の詰まり、めまい、胃痛、下痢、動悸、腰痛など不定愁訴も絶えませんでした。
なるべく目の前の業務に集中し、他の同僚や先の仕事は考えないことに徹しましたが、「破堤近し」を感じた時は、心療内科医や職場の上司にはためらわずに報告して、減圧に努めました。「打たれ弱いやつ」と思われ、人事考課に響く懸念はありましたが……。同期たちが次々と出世の階段を上り「友がみな、我より偉く見ゆる日よ」なんて思ったこともあります。同期の飲み会に誘われても、参加できない自分がいました。
喜びだったのは、自分の仕事がきちんと周囲からの評価を受けたことでした。意外だったのは(同期の中ではほぼビリだと思いますが)こんな「傷モノ」の私でも、その後中間管理職に登用されたことです。いい会社だと思います。
2020年1月10日、妻が関西に来ました。引っ越し先を決めるためです。松山には、その春で高3になる長男を残し(本人が一人暮らしを希望した)、妻と高1になる次男は借家を引き払う計画が動き始めました。
3月19日の引っ越しまでに、長女の高校卒業と進学、次男受験、引っ越し手続き、廃車といろいろあり、同僚に心配されるほどやつれましたが、家族が合流するという嬉しい目標のため、心身の大変さがメンタルの悪化につながることはありませんでした。
新生活への適応以外で大変だったのは、家族で通える教会探しでした。これについてはまた別の回でお知らせしたいと思います。転居でホットヨガをやめた代わりに、自宅でNikeアプリを使った運動を始めました。半年に1回程度の登山と共に、今に至るまでずっと続けています。
後半も、ストレスフルなことがあって「頭の中をハエが飛ぶ」ことは何度もあったのですが(つい最近もあった)、メンタルが大きく損なわれることはありませんでした。家族と一緒に暮らし家族に支えられている点、何より所属教会が見つかり、牧師らの祈りによって支えられていることが大きいと思います。
ここまでが私の5年間のストーリーです。5年を超えたら再休職率がいきなりゼロになる訳ではありませんが、振り返って思うことは、病気休職も、復職後の5年も、神の御手の中にあった、神に守られていたということでしょうか。
本稿執筆中、私の頭の中には、聖歌498番「歌いつつ歩まん」が流れていました。
①主にすがるわれに 悩みはなし
十字架の御許(みもと)に 荷を下ろせば
※歌いつつ歩まん ハレルヤ! ハレルヤ!
歌いつつ歩まん この世の旅路を
②恐れは変わりて 祈りとなり
嘆きは変わりて 歌となりぬ ※
③主はいと優しく われと語り
乏しき時には 満たし給う ※
④主の御約束(みやくそく)に 変わりはなし
御許に行くまで 支え給わん ※
洗礼から四半世紀以上が過ぎたというのに歌詞とは反対に悩みまくりだし、不安に思うことも多いし、祈りが少ない方だと思うし、嘆きや愚痴は絶えない中途半端なクリスチャンです。それでも神の恩寵は、私に十分過ぎるほどです。この5年の小さな物語が、その証明です。
理由は知る由もありませんが、私同様に心を病んだ経験のある皆さん。「主にすがりつく」ことこそ最上の選択です。神はあなたをお待ちになっています。既にクリスチャンである方には、「神はこの出来事を通して、さらに主に近づくことをお求めになっている」とお伝えしたいです。
御許に旅立つその日まで、悩みも憂いもゼロになることはありませんが、それでも主への讃美歌を口ずさみながら、この世の旅路を共に歩もうではないですか! ハレルヤ!