私と松山の関わりは7年になります(大患難時代と同じ長さだ)。前半の3年半、2014年4月~17年9月は基本的に家族5人で暮らしました。同年10月に私が関西転勤(=単身赴任)になったため、その後の3年半は妻と長男・次男を訪ねる形での松山通いを平均月2回続けました(長女は私についてきた)。私の家から松山まで片道300キロなので、単純計算で300×2×24×3.5=50400キロ、地球1周と4分の1移動したことになります。道中、本を読むか映画を見ているとはいえ結構な苦痛でした。新幹線1本で帰省できる他の単身赴任の同僚をどれほど羨ましく思ったことか。2021年2月21日、奇しくも私の48歳の誕生日に最後の松山通いを終えたので、この7年間を総括してみたいと思います。
前半3年半のうち、さらに前半2年半は、とても充実していました。仕事、家族との時間、教会生活のバランスがとても良かったのです。急性膵炎になったりギックリ腰もやりましたが……。
残る1年のうちの半年は冬の時代でした。メンタルが悪化し、休職のやむなきに至ったのです。この辺の経緯についてはこちらで述べた通りです。残る半年は、マイナスのメンタルをゼロまで回復させることに必死でした。
松山という「ほどよい」地方都市で暮らせたことが、前半の最も良い思い出です。職場のすぐ近くに小高い山があり、お城がある山頂までよく散歩しました。家の近くを流れる川は四季折々の表情を見せてくれましたし(特に桜がきれい)、幼い息子たちと離島サイクリングしたことも思い出深いです。
県内各地、四国各県はむろんのこと、山口、北九州、青森、岐阜、長崎、東京、カナダ--いろんな所に行きました。
大変尊敬していた方と、大学時代の友人が亡くなったのも、この時期でした。性格がウエットなんでしょうね。今でも年1回の墓参りを続けています。
松山の高校を休学した長女と2人、自家用車で松山から関西に移動したのが、2017年の年9月28日でした。方角から言えば「上り」ですが、「都落ち」のような気持ちでした。結婚してから一度も別々に暮らしたことがなかったので、身を切られるような辛さでした。「松山は妻子だけで大丈夫か」という心配もありました。
後半の3年半は、新しい仕事に適応しながらメンタルを保つのに必死、月2回の松山通いに懸命、という感じで、正直、今に至るまで余裕は全くありません。不定愁訴も絶えませんねえ。
その中でも大きなトピックは、こちらでも書きましたが、中川健一師主宰のハーベスト聖書塾での2年にわたる学びを終えたことです。今後の信仰生活における視点・視座を得られ大きな財産になりました。
小さなトピックは弁当作りを始めたことでしょうか。中身は年がら年中ほぼ変わらないのですが、同じ物を食べ続けても苦にならない性格が幸いしているようです。
こちらでヨガを始めたことをご報告しましたが、それも小さなトピックでしょうか。コロナ禍で中断したりしたので、あまり上達はしていませんし、「黒一点」には未だに慣れませんが、ダラダラ汗を流すのは気持ちいいです。一度「以前より顔の色艶がいいですね」と褒めて頂いたこともあります(笑)。
反省は……いろいろな教会を訪ねたたものの、結局どこにも所属しきらなかったことですね。自分は面倒な信徒だと思います。不義理をした皆さん、ごめんなさい。
古くから教会で歌われている賛美歌に「のぞみも消えゆくまでに」があります。こんな歌詞です。
数えてみよ主の恵み 汝(な)が心は安きを得ん
数えよ主の恵み 数えよ主の恵み
数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み
こうして7年間の記憶をまとめている間、私の頭の中ではずっとこの曲が鳴り響いています(笑)。
いいこともいっぱいあったし、悲しいことも、辛いことも多々ありましたが、それもこれも「神のフィルター」を通過して私の元に届いたものばかり。私がどう受け止め、解釈しようと、それらは神からの一方的な恵みなのです。
まもなく、人生15回目の引っ越しを迎えます。単身赴任は解消されます。感謝なことです。行った先でも、きっといいことも、悲しいことも、辛いことも色々あるでしょう。それら一つ一つを恵みと受け止めながら、信仰生活を全うしたいと思います。